誰のために、何を、どうして。
そんなことを考え始めたら、もう夜しか眠れない。
寝てる時以外ずっと起きている。
笹をかじる手も止まるというものだ。
僕はこれまで、赤いパーカーの裾を律儀に整え、毎朝、毎朝、判で押したような記録を積み重ねてきた。
「透析患者」という、あまりにも強固で、それでいて無機質な鉄格子の内側から。
自分では「誰かの役に立つはずだ」と信じて疑わなかった。
だが、それは高潔な奉仕精神だったのか。
それとも、ルーティーンという名の安全地帯に引きこもり、義務を果たしている自分に酔っていただけなのか。
自分を鎖で縛り付けていたのは誰だったのか。
データの「おすまし」が限界を迎えるとき
記録というものは、時として恐ろしく「おすまし」をしている。
数値、時間、体調。
そこには一切の隙がない。
しかし、その無機質なデータの羅列に、僕というパンダの「血の通った体温」は宿っていたのだろうか。
読んでくれる人は、僕が今日何グラム増えたとかなにをどの程度摂取したかを本気で知りたいのだろうか。
その塩分を摂る瞬間の、喉が鳴るようなあの浅ましい渇望や、禁忌を犯す瞬間の震えるような背徳感、そして食後の「やってしまった」という絶望——その感情の洪水が見たいのか。
あるいは、他の何か、か。
僕は「透析患者」という檻を、自分を守るための盾にしていたのかもしれない。
その盾を捨てて、むき出しのパンダとして海へ出る。
テンプレートという名の防波堤を越えるのは、正直、膝がガクガク震えるほどに怖い。
さらば、昨日までの模範解答
だが、決めたのだ。
これからは、綺麗に整列した数字ではなく、もっとドロドロとした、あるいはスカスカとした、僕の「生」を書き散らしてみようと思う。
新しい船出だ。
波は高いし、僕のパーカーはすぐ濡れて重くなるだろう。
それでも、誰かに「おもしろい」と言ってもらえる、あるいは「バカだなぁ」と笑ってもらえる、そんな読みものとしての矜持を持ちたい。
準備はいいかな、忘れ物はないかな。
バッグに穴は開いていないかな。
僕はもう、檻の鍵を、胃袋の中へ飲み込んでしまった。
うそ、鍵はおいしくなさそうだもん。
かつて大航海時代の船乗りたちは、船の速度を測るために「丸太(log)」を海に投げ込み、その流れる速さを紐の結び目でカウントしたという。
これが、僕たちが今日「ブログ」や「ログ」と呼んでいる行為の、あまりにも物理的で無骨な起源であるようだ。
思えば僕も、自分の人生という名の海に、せっせと「記録という名の丸太」を投げ込み続けてきた。
しかし、振り返ってみれば、海面は投げ捨てた丸太で埋め尽くされ、肝心の自分の船がどこへ向かっているのか、さっぱり分からなくなっていたのかもしれないのだ。
丸太を数えることに熱中するあまり、自分が赤いパーカーを着たただの迷子パンダであるという事実に蓋をしていた。
今や僕の周りには、使い古された過去の記録が流木のように漂い、進路を妨げている。
これからは、丸太を投げる手はやめて、素手で水を漕ぐしかないのだろう。
…まあ、全力で漕いだところで、パンダの腕力ではその場でくるくる回るのが関の山なのかもしれないね。
しらんけど。
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無料部分の「しらんけど」では書ききれなかった、パーカーのポケットの底に溜まった本当の独り言。 丸太を捨てたパンダが、震える手で掴んだ本音。 ここから先は、月額100円で僕を支えてくれる飼育員さん限定のエリアです。



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